【連載】プロ・トレイルランナー鏑木毅さんvol.1「人生を切り拓くマインドセット」 

2019年、50歳で世界最高峰のトレイルランニングレース「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(UTMB)」に再挑戦し、完走を果たした鏑木毅さん。そのチャレンジは10年ほど前、安定した公務員生活を捨ててつかみ取った、「世界3位」(現在も破られていない日本人最高位)という過去の栄光と決別するための戦いでもありました。年齢を考えれば無謀とも思える超人レースに鏑木さんが再び挑むことができた背景には、幾多の葛藤の末に身に付けた思考のコントロール法があります。第1回では、逆境のど真ん中でクリアな思考を保ち、難局にブレイクスルーをもたらす思考法「マインドセット」の極意をお聞きしました。

鏑木毅さんプロフィール

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かぶらき・つよし 1968年、群馬県生まれ。2009年世界最高峰のトレイルランニングレース「UTMB」で世界3位に入賞。2019年、50歳でUTMBに再挑戦し、見事完走を果たす。現在は競技者を続けながら講演会や講習会を開催し、国内のトレイルランニングの普及にも力を注ぐ。著書に『アルプスを越えろ!激走100マイルー世界一過酷なトレイルラン』(新潮社、2013年)、『50歳ゼロからの世界挑戦 MINDSET-マインドセット』(三栄、2019年)など多数。

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誰にでも「マインドセット」のスイッチはある

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──日本では、まだトレイルランニングを知らない方も多いと思います。初めにこの競技について教えてください。

トレイルランニングとは文字通り、道なき道を走る競技のことです。平らな場所はほとんどなく、足元が不安定な山道をアップダウンし、時には岩や崖をよじ登りながら走り続けます。

中でも最も過酷といわれているのが、トレイルランニングレースの最高峰「UTMB」です。フランス、イタリア、スイスの3カ国を通り、モンブラン(標高4810メートル)を1周するこのレースは、危険な場所も多々あり、時には死と向き合いながら夜通し100マイル(170km)をひたすら走ります。

──途中でリタイアする選手も多いそうですが、鏑木さんは39歳で挑戦した2度目のUTMBで4位に入賞しましたね。

結果を残すことはできましたが、本当にきついレースでした。どのレースも120kmを過ぎたあたりが最も辛いのですが、この時のレースは特にきつくて、「もう無理だ。日本に帰ったらなんて言おう」と、辞めるための理由と言い訳ばかり考えていました。

前回の経験から十分に準備をしてきたつもりでしたが、前回以上の脚の痛さと身体のだるさで幻覚を見るほどの苦しさ。重い脚を引きずってなんとか歩を進めながらも、「自分にはとても耐えられない」と、心の中では次のエイドステーション(休憩所)でリタイアしようと諦めかけていました。

そんなとき、突然頭の中に、「この地獄を楽しもう」という言葉がバン!と降りてきたのです。

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──地獄を楽しもう、ですか!?

ええ、突然に。それは、私がかつて働いていた職場の同僚から聞いた言葉でした。

当時、あるイベントの広報活動のため、毎日2〜3時間の睡眠で仕事をしていました。疲れのせいで、みんなイライラして喧嘩ばかりしている中、一人だけニコニコ笑いながら「こうしたら面白いかも。ああしたらみんな楽しめるのでは?」と話している。なぜそんなに前向きでいられるのかと聞くと、「このイベントに携われるのは1回だけかもしれないし、イベントなのだから期間限定の忙しさ。それなら辛いと思わずに楽しみたい」と言うのです。彼は実際に楽しんでいたし、誰よりもいいアイデアを出していました。

でも、そんな 同僚の話を聞いても、当時の自分にはまったく響かず、イベント終了の日を指折り数えていました。

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ところが、辛いレースの真っ只中で、例の言葉が心の中に入って来たんです。

「ああ、なるほど、これがあの時に彼が言っていた“苦しさを楽しむ”ということなんだ。どんなに辛くてもレースには必ず終わりがくるし、何よりも自分が好きでやっていることなのに、なぜネガティブに考えているんだ」

そう思った瞬間、思考を支配していたネガティブな言い訳が全部消え失せて、頭だけでなく身体までスーッと軽くなりました。すると、痛みで悲鳴を上げていたはずの脚が、不思議と前に前に進んで行くんです。この時初めて、マインドセットのスイッチを押すことができたのです。そして、その経験のおかげで、40歳で挑戦した、翌年のUTMBで自己最高記録となる3位に入賞するこ
とができました。

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PHOTO 藤巻翔

マインドセットを妨げる「思考は簡単に変えられない」というバイアス

──人間には思考を切り変えるためのスイッチがあると。

そうです。そのスイッチを押すと、頭だけでなく身体にも大きな変化が生じるということに気付きました。マインドセットとは、意識的にそのスイッチを押して「心の置き場所を変える」ことです。

──それは死と直面するほどの極限の環境下で、体力の限界を超える体験をしたからこそ、気付けたことなのでしょうか。

気付いていないだけで、本来誰もが持っているものだと思います。気付けない最大の理由は「マインドセットができるのは、アスリートのような特別な人であり、自分には無理」と頑なに信じていること。昔の私も人間の思考は簡単に変えられないと思っていました。でも、一度スイッチが押せたことで、それは自分が作った意識のバイアスであることに気付きました。

──もともとが、ポジティブな性格だったのでは?

私はこう見えて、かなりネガティブ思考の人間なんですよ。気持ちが後ろ向きになることは今でもしょっちゅうあります。例えばランナーとしての私は、年齢的にもう下り坂です。そんな中で頑張っても評価されないと、つい「自分はいったい何をやっているのだろう。続ける意味はあるのか」などと考えてしまいます。でも、その度に思うのは「好きなことをしているのだから、自分は世界で一番ハッピーなんだ」ということです。そうすると、落ち込んでいた気持ちがスーッと消え、逆にワクワクしてきて、心をリセットすることができます。

──マインドセットには「ネガティブな思考を否定する習慣」をつけることが大事なのですね。

すぐにはできなくても、まずはネガティブ思考に陥っている自分に気付き、「視点を変えよう」と意識し続けることが大切です。

「ネガティブになっている自分を認識する→どうすればポジティブになれるかを考える」

これを繰り返しているうちに、ある日突然、スイッチを押せる瞬間が訪れます。一度マインドセットを経験すれば、それが「自分にもできる」という成功体験につながり、その後も意識し続けることで、だんだんと気持ちをコントロールできるようになっていきます。

マインドセットを繰り返しながら、鏑木さんは50歳で再び過酷なUTMBに挑戦し、完走できる強く柔軟な心を手に入れました。

次回は、より具体的なマインドセットの実践方法についてお話しいただきます。

編集:株式会社エアリーライム ライター:塚本佳子 カメラ:岡本裕介(インタビュー)

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